老人と◯◯
バスの車内で大泣きする幼子を懸命にあやし続ける若い母親を、黙らせろと大声で怒鳴りつける老人。たまらず目的地の手前で下車してしまう母子。助けてあげられなかった同乗者が書いた後悔の投書。
よく聞く話ではありますし、いろんな受け止めがあります。
昔に比べ不寛容の世の中になった。老人が生きてきた時代も今と同じように幼児は泣くものだ。公共の空間では最低限守るべきマナーがある。そういう現象は認知症の初期だ。母親は子の特性を知っているのだから、それなりの準備をして出かける知恵を持つべき。手を差し伸べる善人だってたくさん見た……。
間違いなくこの街も、幼い子を懸命に育てる母親たちの数より老人の数が圧倒している。本店勤務の私、60代のオーサワMも含めて、受けてきた昭和中期以前の教育の質は彼女たちが受けてきた平成のそれに比べて貧相極まりない。高度経済成長のなか、グローバル教育とは名ばかりの詰め込み授業。いわんや社会性を培うべき公民科目などは、ほぼ付けたりの内容。当時の教師からは社会性に関する指導などは記憶にない。そうやって育ってきた老害が、将来を担う母子を「優しく見守る」ことさえできない現状。ましてや医療制度や老齢年金など老齢インフラの基盤原資は若者世代に寄りかかって何とか維持しているにもかかわらず、である。
まるでこのまま冬になってしまうのでは、と慄いた10月初秋の空。今日の雨は冷たかった。では、また。